義母の手作りおせち料理やうんちく話は、お手本となり永久の宝物

私は、宮城県に住んでいる38才の主婦です。今から10年ほど前の事になります。8年前にガンで亡くなった主人のお義母様が手作りで作ってくれたおせちについて書いていきたいと思います。

両親の不仲のせいで、1人で手作りおせちを食べる寂しい正月を過ごす

私は1人っ子で育ちました。両親が小さい時から不仲で父親の稼ぎが悪い為、母が年中無休のお弁当屋さんでパートをしてなんとか暮らせるレベルで育ってきました。

お正月は父は朝からお酒を飲んでおり、母は早朝からお昼までパートでした。忙しいながらも母はお雑煮や煮物、かまぼこ程度を重箱につめて元旦から仕事をしていました。

せっかく母が作ってくれたおせちですが、いつも一人で食べていたので、おせちの意味も分からずお正月は寂しいものという想いででいっぱいでした。

子供の食育も兼ねて、義母の家に手作りおせちを食べに行く

そんな私も大人になり主人と出会い22才で結婚しました。当時は主人がサービス業に勤務している為、数年は元旦は子供たちと過ごすまた寂しいお正月でした。

ですが、10年ほど前の元旦は初めて主人がお休みになったので、お義母様が「おせちの意味をこどもたちに教えるのも大事だから私がおせちを作るね。だから食べに来てね。」と言ってくれたことがありました。

お言葉に甘えてその年は家族で主人の実家に遊びに行きました。すると今までの私のお正月の常識ががたがたと崩れおちるほどの、素敵なおせちがテーブルに並んでいました。

義母の手作りおせちに驚嘆…美味しい料理や扇型の取り皿が結婚式のよう

テーブルに並んでいたのは、寿が書いている割箸にひとりひとりの名前が墨で丁寧に書かれ席に並んでいました。まるで結婚式の座席のようでした。そしてそれぞれの席には扇型の取り皿のようなトレーが置いてありました。

さらにTVでしか見たことがない、おとそまでありました。お料理はすべてお義母様が手作りの煮ものや栗きんとんなどが、きれいにお重箱に詰めてありました。それらの料理を扇型のトレーの上にのせて食べるといったスタイルでした。

また、おせちにまつわるお話もひとつひとつ丁寧にこどもたちに教えてくれました。寂しいお正月だった私は、恥ずかしながらその意味を知らず子供たちと一緒に学びました。

お料理の味も大満足で、「お正月とは、おせち料理とはこれだよ」ということを同時に教えていただけたように思っています。その後からはお義母様の体調が悪くなり、会う事ができなくなりましたが、自分で作るおせちのお手本になっていることは、永久の宝物だと思っております。

カテゴリー: おせちの思い出