手作りおせちをサプライズプレゼント、作ってくれた従兄の心遣いが嬉しかった

子供の頃のおせち料理は母が手作りしていまた。母はお嬢様育ちのせいか、正直いって料理がまったく苦手。それでもそれなりに煮豆を作ったり田作りを作ったりして、それなりにお正月に相応しい料理を作ってくれた。母が80歳を超え、独身で母と同居する末娘の私が50歳を超えたとき、母はもうおせち料理を作ることをやめました。

軽い認知症も入ってきたのでやめたというよりも、もうできなくなったと言ったほうがいいか。それでは私が母の代わりにおせち料理を作ればいいのかも知れないが、私は生来の面倒くさがりの上に、持病を抱えながら仕事もしていたので、いっそのこと正月準備などやめてしまおうと思った。

正月もお盆もこれと言って何もしない我が家に従兄からおせちのプレゼント

それから後、数年間は母と私だけの二人暮らしの家は、盆も正月も関係ない、おせち料理などいっさいない、普通の日と代わりない殺風景な元旦を過ごすことになった。三年前のことである。その秋、ふとしたきっかけで私が近況報告の詳しい手紙を書いたせいで、同一市内に住みながら何十年と交際が途絶えていた従兄との交流が復活した。

従兄夫妻はたびたび車で駆けつけてきては、何くれとなく、私と母の世話をやいてくれるようになった。私が忙しいとき私の代わりに母を病院に連れていってくれたり、灯油やお米などの重いものを車で買ってきてくれるようになった。そしてやって来たのが大晦日のサプライズである。

私と母が特別、年末の用意も正月の支度もせずに、平常通りの大晦日を過ごし、漫然とテレビなど見ていたら、前触れもなく、従兄夫妻が現れた。大きめの風呂敷に包まれていたのは重箱にきっちり詰まったおせち料理だった。「お前のことだから、絶対正月準備していないと思って作って来てやったよ」従兄はそう言った。

手作りおせちは、久しぶりに味わう正月と従兄の優しい味がした

もちろん実際に作ったのは、従兄のお嫁さんである。年末の忙しい最中に自分の家のおせち料理だけでなく、親戚の家のまでもう一組作るなんてどんなに大変だったろう。お嫁さんは愚痴ひとつこぼす様子もみえず、にこにこと嬉しそうに笑い「お口にあうかわかりませんが、召し上がってください」といった。

翌日の元旦は、久しぶりに私の家にもお正月がやってきた。お正月だからといって特別なことなんてしなくていいと放埒を決め込んでいた私だが、やはりおせち料理で迎えられる正月は嬉しかった。ただそれだけでなく、従兄とお嫁さんの心遣い、温かさが心に沁みるおせち料理であった。

子供のころの、親兄弟だけを囲んだおせち料理ではなく、もっと広い血縁のありがたさというものをかみしめさせてくれるおせち料理であった。その翌年も従兄はおせち料理を持ってきてくれた。だがその年半ばに母がなくなり、私は実家を畳んで上京した。従兄夫妻のおせち料理のお世話にはもうならなくて済んだが、温かいおせち料理の思い出は今もこの先もずっと私の心に残り続けるだろう。

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